『阪神タイガース優勝記念本』小学館
色々な漫画家さんが作品を寄せています。わかる。。。。わかりすぎるほどわかる。そして泣ける、泣ける、、、、のですが、、、
リーグ優勝、日本一、ちゃんと中継で観ていたのに、
現実感がない
。。。。。。。
大騒ぎしてビールがんがん飲んだ。。。。
現実感がない。。。。のです。
おかしいのです。自分がわからなくなりました。一応古参のファンです。ですが、普段は誰とも一切野球の話はしないので、妻も結婚してから知ったくらいです。
理由は簡単です。あの暗黒時代。
住居は阪神グッズだらけです。まず玄関は壁がポスターで埋まってますので、宅配の人がぎょっとしますね、たいてい。寝るときにはもちろん西川の阪神布団カバー、まくらカバー、つまり阪神に包まれて寝てます。まあ、普通のタイガースファンですね。
ですが、その僕が、10年前買った阪神優勝祈願だるまに目を入れられないのです。。。。。優勝当日のデイリーも保存用に取り寄せたし、、、、優勝特番録画しまくり、ニタニタ観ているのですが、、、
現実感がないのです。
おかしい、おかしいと、自分なりに考えました。そして僕はわかったのです。
ペナントレースが決着する時期、もしくは日本一が決まる時期、僕が何をしてきたかと言えば、1985年日本一が決まった試合のビデオを観ることです。
なぜなら、現実のタイガースの惨状を直視できなかったからです。
live in the past time paradise
とスティービー ワンダーの歌声が聴えてきます。
プロ野球のクライマックス時期は僕には現実逃避の時期なのです。そうでもしないと堪えられません。それが長年の習わしになっていました。
それが2023年秋は現実から逃げる必要はなくなりました。ですが、僕にはバーチャルな世界、1985年がこの時期、現実だったのです。たとえ逃避先であろうとも。
現実と「僕にとっての現実」が衝突して、僕は大混乱になってしまったのです。
ゲーム、アニメ、マルチ展開した『.hack』、あるいは押井さんの『Avalon』で出てくる「未帰還者」になってしまたようなものです。
上記本の『シュレジンガーの虎』ほりのぶゆき、わかりすぎます。
阪神タイガース日本一後遺症
「試合観ないと勝つ」とか、他球団のファンの皆様にはまったく理解できない心理状態が通常運転な我々暗黒時代を耐え忍んで、、、
いえ、バーチャル1985年世界線に逃げ込んで自ら現実との接点を絶ってしまった結果が「未帰還」なんです。
そこで僕は思い出しました。そうです。
『ゴドーを待ちながら』
あのベケットの名作。演劇を少しでも好きな人なら知っているあの作品。脚本を読むとよくわかるのですけど、あれはどたばた喜劇だと思うのです。でも、それがゆえなのか深遠な哲学的思索を促す孤高の傑作という評価もまた揺るぎないものなのです。
まちがいなく『ゴドー』に影響を受けた別役実さんが書いた『街と飛行船』。小学生だった僕はものすごい衝撃を受けました。
阪神ファンにとって日本一は38年待ったゴドーだったのです。
切に優勝を願い、裏切られ続けても辞められず次第に奇妙な形をとって行くファンのゲンかつぎの数々。。。。。まさにどたばた喜劇。。。。。次第に哲学的思索さえ促すようになったそれらは僕からも「ふつうに勝つ」現実の受け入れできなくしてしまったのです。
ゴドー 駄目だよ、こいつらにはどうしても、私がゴドーで、その私が来たってことがわからないんだ、、、、、(『やってきたゴドー』別役実 初演2007年)
別役さんは刊行された脚本のあとがきにこう記していらっしゃいます。
ゴドーがやってくることにした。もちろん大発見ということではない。と言うより、むしろ「禁じ手」と言うべきであろう。「やってこない」ことにあってのみ成立している構造のタガをはずすことになるのであるから。
しかし、私は少しく苛立っていた。「やってこないのに待っている」ということのイロニーが、次第に色あせ、落差を失い、「笑えなく」なりつつあることに。
ふふふふ、、さしずめ月が青いってことかな、、、
2024年2月1日「猛虎キャンプレポート」を1日中観ながら僕はそう思ったのです。
上記本のなかの『15年前のアレ』さそうあきら、本気で泣きましたよ、さそうさん。来たんですよゴドーが。
いざ!現実に帰還せん!(『うる星やつら ビューティフルドリーマー』押井守監督)
あ、でも僕は今後も誰とも野球の話はしませんよ。家庭内と球場以外は。
って、「おまえさん2004年3月30日で日付が止まっているし、だるまに目を入れていないし、85年発売の人形もずっとそのままなんかい」
だって、日めくり、めくれないんですよ、金縛りにあって、、、、