海辺の風景

海野さだゆきブログ

水の風景 抽象は具体的に具象は抽象的に

武満徹さんの「海へ」は海の英語「SEA」の表記をそのまま音階として扱っているとか、です。ちょっと記憶があやふやなのですけど、Sは「シ」Eは「ミ」Aは「ラ」としてその三つの音を主題にするというような方法です。

 

これは実は西洋音楽の「どまんなか」なのかもしれません。そもそも「ドレミファソラシド」がどうしてそういう風に呼ばれるようになったのかについて、「バプテスティマのヨハネ讃歌」のラテン語の歌詞をそのままあてはめたという説もあるくらいですから。

 

この方法を僕も採用したことがあります。もちろん、それだけでは曲は成り立ちません。とは言え、発想の一部分ではありますけど、結構強力です。

 

僕は以前、知人の出産祝いに曲を贈りました。出産とは何か、自分も立ち会い出産を経験しましたからか、ある時突然「出産とはドミナントモーション」だと思いつき、あわてて持っていた紙がレシートしかなかったので、そこに音譜を書きなぐったのでした。

 

出産時、なにかこう「波」があるそうです。陣痛には波があるんですね。それを「有義波高と有義波周期」とか3ー2ー5周期とか色々な説を拝借して、最初のモティーフを作りました。

 

これは「見立て」といってもよいかと思います。日本の文化のひとつですね。「借景」と言ってもよいかと思います。

 

表現することが具体的であれば抽象的に、抽象的ならば具体的に、そんな風にまとめてしまってよいかと思います。

水の風景 インストの場合の発想方法

インストの場合、僕はいくつかのルールを先に決めています。歌とは違いますが、インストもイメージはあくまで言葉が出発点になります。

 

それにしても、前段階はあります。例えば、「風」をインストにするとします。たぶん一番助けになるのは「動くイメージ」です。

 

風になびく草原

風にゆれる大きな樹の枝葉

風にゆれるたんぽぽの綿毛

 

と、いうような「動くイメージ」は、当然動きがリズムを持ちますし、動きの「幅」が音程のそれに呼応します。

 

「風になびく草原」は、「一度にある幅の草が同じ揺れを起こす」というところから、和音を動きを思いついてみたりします。

 

「風に揺れる大きな樹の枝葉」は、大きく揺れる木の幹や枝と細かく大きな音を立てる葉っぱの組合わせから、ゆったりしたリズムで細かい符割りの違う音程の音が覆い尽くすような量を歌う音楽を思いついたりします。

 

「風に揺れるたんぽぽの綿毛」は、軸の動きと、ランダムに飛び散る綿毛の対照が思い浮かびますので、普通の五度の低音の動きに分数和音、それもテンションコード、それが細かく入る、そうした音楽を思い浮かんだりします。

 

水の風景 イメージの方向性

風景を描くことは決まりました。で、次に大きく考えるのは「歌なのかインストなのか」です。

 

たぶん、ロックとかフォークとかJポップとかになじんだ人はそういう発想はないかもしれませんけど、僕らがよく聴く音楽って、歌かインストかですよね。

 

最初からどちらかに決めるのは不自由じゃないですか?

 

僕の場合、歌もインストも作ってきました。その分かれ目は何かは、はっきりしています。

 

言葉にしたいならば歌、言葉にできないのならばインストです。

 

そういえば、「言葉にできない」って「歌」がありますね。言葉にできないことを「歌」という言葉にするっていう、とてもじゃないですけど、僕にはできないハイレベルな作品です、はい。

 

僕は言葉にできない場合はインストを選択します。あ、もちろん、言葉についてとても才能があって、言葉による飛躍が大きい、という方は歌の方がよいですよね。そういう歌、あります。

 

オリジナルがなかったので

www.youtube.comこれが僕には「言葉による飛躍が大きい」作品のナンバーワンです。具体的ともいえる言葉が具象を遥かに超えています。素晴らしいですよね、この「歌詞」。

 

僕はそうした作詞の才能が皆無なので、イメージが複雑といいますか、大きく飛躍するときにはインストにしています。

 

ドノバンの「リバーソング」

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この「歌」も忘れられないですね。佐々木昭一郎さんの作品でも使用されました。俳句のように短い歌詞、繰り返されるモティーフ。歌のようなインストのような、素晴らしい作品です。こういうのも、ありです。

 

ただ、今回凡才の僕はインストに絞ります。

 

 

水の風景 停滞する作曲

「水の風景」という組曲を構想してはや10年以上。まったく作業が進んでいません。やれ時間がないだの、気持が落ち着かないだの、とまあ理由をつけていますけど、本当はイメージが固まっていないからなのです。

 

ライトノベル風に作曲入門を扱った本でも、とにかくイメージをどれだけ追い込めるかみたいなことが書いてありました。そうなんです。あれやろう、これやろうと「思いつく」ことは簡単なのですけど、そこで思い浮かんだことをしっかりと細部まで「想像」できるかは「創造」そのものにかかわります。

 

例えば、和音からはじめて、それを分散和音にして、それを再構成してみる、ま、要するに順序を変えて、そこにスケール音を足したり、引いたりして作る、というような場合でも、最初にイメージが固まっていないと、音の響きだけに引き摺られて、つながりやすい音の連続に結果して、なーんかつまらない、と(僕は)なってしまいます。

 

宮川彬良さんは「メロディって一筆書みたいに書くものであって、いまよく耳にするのは僕にはフレーズであって、メロディじゃないんだよね」って、いつかのラジオ番組、脚本家の岡田さんの「今宵ロックバーで」で言っていました。そうなんです。

 

よいメロディって譜面にしてなんか綺麗な「眺め」になると思うのです。視覚的にも聴覚的にも綺麗。これがイメージの「実体化」なのだと思うのです。はっきりしていないと、ここは細かく割るのか、どうするのかとかでいきなり行き詰まります。

 

というわけで、まずは「水のイメージ」固めから始めます。

 

水というと、すぐにラベルの「水の戯れ」「エステ荘の噴水」とか浮かびますか?。

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僕は武満さんの「雨の樹」です。

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歌では沢山ありますけど、ここは例えば滝廉太郎「花」。歌詞はご存じの通り。で、僕は小林啓子さんの「やさしい雨の歌」というアルバム「かなしみごっこ」1972年に入っていた歌なんですけど。

 

あまだれが ひとりぼっち ひとりぼっち

 

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っていう歌詞で始まります。「花」は風景、「やさしい雨の歌」は心象風景と言えます。ラベルと武満さんのそれぞれも、僕には風景と心象風景だと思えます。

 

おおざっぱですが、僕にとって曲はそのどちらかなのです。今回はどっち方向なのか、まずはそれを決めます。

 

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もともとこれが「水の風景」作曲のきっかけになったイメージのひとつなのです。基本、風景を描く、という方向性でやってゆくことにします。

 

 

『世界一孤独な日本のオジサン』岡本純子 著

ツイッターでフォローしている方の記事がこのところ全くないので、不思議に思っていたら、なんとブロックされていました。時々リプライをしていたくらいで、このところは何にもなかったのに、と思いましたが、同時に「やっぱり僕もいつのまにかおれおれおやじになっていて、えらそーだったのかもしれない」とも思いました。

 

僕は「男は基本えばり」だと思っていました。それは、そういう姿勢が嫌いだし、その傾向にある僕自身に注意を払っていました、という意味です。でも、所詮自己チェックです。受け取った方にしてみれば余計なお世話かなあ、と思いつつ話を止めていないことも度々あります。

 

うーん、こんなんじゃ、孤立まっしぐらだよ、と思ってはや20年。出口は見えません。

 

さて、件の本は、内外のデータ、エピソードを大量に提示しつつ、オジサンたちの孤独への警鐘を鳴らし続けています。もう読み続けるのがいやになるくらいです。刺さりまくりです。思い当たる事ばかり。

 

新書形式ですし、警鐘という姿勢から、言い切りの文体になっていると思います。そのくらい事態はせっぱ詰まっているのです。書評をみると、その言い切りに引っ掛かって、「必ずしもそうではない」という感想がありますが、そういう感想があること自体、もうこの本の警鐘の意味を重たくしています。

 

著者も「必ずしもそうではない」ことは重々承知なのです。実際そう書いてあります。しかし、そうしたあいまいな言葉でお茶を濁している場合ではない、という危機感があるから、データを山と積み上げて、僕たちオジサンを説得しているのです。

 

そうなので、読後に「かならずしもそうではない」という感想が出てくるのはまさに「人の話を聞いていない」オジサンの姿勢が出てしまっているということだと思うのです。

 

僕自身、バンドが突然空中分解してから、まったく次の手が打てていません。仕事場と家庭以外の場所を作ることができていません。なにしろ、そのバンドの解散も、女性3、男性2のメンバー構成でしたが、その女性3人から練習後突然解散を言い渡されたのです。事前に何の相談もなく、バンドの立ち上げから幾多のトラブルもなんとか乗り越えてきたのに、と呆然でした。

 

いやあ、オジサン孤立の典型的な事例です。

 

「まったく楽しめなくなってしまっているから」とはその時のメンバーの言葉ですが、これがヒントでした。僕はやはり、演奏のクオリティを上げる事に中心があったのですけど、彼女たちはバンドという集まりでのコミュニケイションすることに中心があったのです。

 

確かに。バンドを楽しむという姿勢は僕にもありましたけど、その部分が少なかった故に彼女たちの不満は増大していったのでしょう。バンドのリーダーは女性でしたし、僕はサブに徹して、いたつもりだったのですけど、。。。。。

 

なんか突然離婚を宣言された夫状態で、僕はショックでバンドを新たに立ち上げるとか、メンバーに入るとかいう気持がなくなってしまいました。

 

典型的な濡れ落ち葉オジサンじゃんかよー、と自分でも思いました。色々気を遣ったんだよ、とか、離婚されたオジサンがつぶやきそうなことは全部つぶやきました。

 

で、気が付けば、バンド活動がやりにくい勤務形態の仕事をやってます。おいおい。。。。。音楽以外でどこで人のつながりを作れるんだよ、お前は!と自分に突っ込みを入れているわけです。

 

まずは、この孤立状態を自分でしっかり認識することからですね。。。「カネ」ないなあ、「コネ」ないなあ、「ネタ」はあるかも。。。。

 

さあ、孤立オジサンの明日はどっちだ。

東海道最終回 四日目 つまり最終日

沿線で大きなイベントがあるらしく、臨時列車がでていました。そのおかげで予定よりも随分と早く町を出発することになりました。夕方前にはもう自宅に戻るのです。

 

近江鉄道からJR草津線へ。車窓を眺めていると三雲駅。あっ、ここはいつも休みをとっていた場所です。いつのまにか駅舎が建て替えられてぴかぴかです。なんか駅前でザックを下ろしてのんびり休憩っていう感じではなくなったかも。

 

車窓から東海道を目で追います。もうあそこを歩くことはないのかなあ、と思うと寂しくなります。でも、何についても終りはあるのです。やりきって終ることもあるでしょうし、やり残したなあという状態で終ることもあるのです。どっちでも終りには変りはありません。

 

あれよあれよと、京都です。流石に週末土曜日、すごい人出です。京都だからなあ、とにしんそばを頂きました。『それ町』で「ミシンそば」ってギャグがありましたね。

 

おみやげに赤福を買い足し、もちろんディリーも。新幹線は満員。すごいなあ、日本。ディリーはでかでかと藤波制球難再発ですと。昨日はそんなに悪い投球じゃなかったと思うのに、阪神だと大騒ぎになってしまうんだよなあ。。。。。

 

新幹線は本当に「目的に忠実」です。じゃあ、僕の「東海道」はなんだったのでしょう。京都が「目的」だったら新幹線ですよね。歩きが「目的」だったら近所で事足ります。

 

今まで東海道歩きについては色々理由を言ってきました。

 

1、新しさと古さが交差する遺跡

2、歩く速さで生きることを思い出す

3、先祖が関西だから遺伝子が呼ぶ(笑)

4、踏破をえらそーに自慢できる

 

自ら最終回と決めて、のんびり一番好きな場所を歩いたあとでは

 

理由なんて正直わからないなあ、気持よいのはたしかなんだけど

 

微妙にうねる道とか、ちょっと古い静かな風景とか、好きなんだよなあ、、、、でも車びゅんびゅんの国道歩きも案外と好きなんだよね。。。。って結局分からない。それでいいや。

 

今後も思い立ったら権太坂は何度も行くだろうし、妻はまた小夜の中山行きたいって言っているし、完全に消滅はしないと思いますけど、大きな区切りって、なんの区切りだったのかなあ。。。

 

あ、情報発信だったのかもしれないです。歩き始めた頃は本当に東海道歩きの情報が少なかったんです。手書きの地図だとか、写真とか、そういうものがないと、うまく旧道をたどれなかったのです。

 

でも、いまはそれこそGPSのデータとしてリアルタイムで位置確認できますし、ルートも確かめられます。僕はガーミンのデータをネットに上げていたりもしましたけど、そうした個人の営みとしての情報提供はもう不要なんです。

 

地元の方々の尽力で道標も整備されていますし。まず迷わないです。ま、難しいところもありますけど、以前と比べたら問題なんてないくらいです。

 

やっぱり、どこかのだれかの東海道歩きの役に立ちたいって気持はあったんですよね。それが歩きの楽しさを倍増させていたと思います。それはもうとっくに必要ではなくなっていました。

 

本来の自分の楽しみだけって、いうところに僕も戻ったんですね。より身軽に東海道歩きも楽しめそうです。あんまり回数は行けないでしょうけど。

 

めでたし、めでたしっ。

東海道最終回 三日目

昨日は「県道新城」でおしまいだったので、今日はその続きです。

 

記憶というものが何を優先しているのかは分からないですが、こうもはっきりと覚えているのは不思議な感じです。あの時の自分が映像としてもよみがえるような、その自分を見ているような。

 

この辺りではもうへとへと、足は痛いし、汗でどろどろ。地図を見ながら、あとどのくらいで到着できるか、なんてことが頭に浮かんでいましたね。

 

そんな思いをしてまでなぜ東海道を歩き続けたのでしょう、僕は。

 

風は光り、水を入れている田んぼではかわずが喜びの大合唱。今日も快晴です。前回はガリガリ君を食べてばかりいたなあ。とにかく暑かった。今回はファイントラックのハイテク衣類のおかげで不快感がまったくありません。こうも違うものなのか、と。

 

アップダウンがあって、道は宿場に入ります。今日は水口のお祭りです。家々にちょうちんが下げられています。地元の方々があちらこちら、道ばたでおしゃべりをしています。あ、男の人が裃をつけています。なんか本格的なんですね、って当たり前ですよね。お祭りは地元のひとのものですから。

 

曳山はすでに格納庫から出ています。道に鉄輪のあとが。どこにいったのでしょう?結局宿場ではみかけませんでした。例の三叉路を今回は真ん中を通ります。

 

街並って観光的には昔のまま残っていて欲しいものですが、そこで暮している人はいつだって「今」を生きているわけですから、不便さをなくし、発展してゆくなかで、「昔」を更新して行くのは当然です。

 

一時期住んでいた埼玉県の川越市旧市街は、いまでこそ「蔵作りの街」として観光客を集めていますけど、僕がいたころ、地元では古い建物は更新されつつありました。大きな看板でその古さを隠しているような街並でした。

 

同級生の親の世代の何人かが街の未来をその古いものに見いだし、周囲を説得していったのです。基本的によそ者だった僕は、それは正しい方向だと思いました。でも実際そこに住んでいる同級生たちは生活上の不便も感じていたわけです。

 

古いものに未来を、発展と保存を、なんて簡単じゃないですね。大野安之さんの『ゆめのかよいじ』(旧バージョン)ではないですが、「げ、アメリカン」な風景にも何かが宿り始めるのかもしれません。江戸時代の街並だって、その当時の最先端だったわけですからね。

 

水口石橋で今日の東海道歩きはおしまい。そして、それは僕の東海道最終回です。

 

宿に戻る途中、「近江ちゃんぽん」というお店でお昼をとりました。丁度「サラめし」時間。近くで働いている人たちで賑わっていました。子連れのママ友さんたちも。そう、よそ者からすると、地方って人がいないように見えるんですけど、よそ者が勝手に期待するような場所にいないだけの話なんですよね。

 

ちゃんぽんは関東者の僕からすると甘い不思議な味ですが、おいしく頂きました。そう、この「甘さ」なんですけど、この辺りは大阪のそれとも京都のそれとも違うように思いました。

 

宿に戻って、かさばる衣類を郵送し、身軽になるべく梱包し、本町の郵便局へ。途中にぎやかな声。子供達のおみこし行列です。わあ、可愛らしい。川越の時も思いましたけど、伝統的なお祭りのある街に澄んでいる子供たちがうらやましかったなあ。よそ者の僕は「旧市街」の住人じゃなかったので。。。当時は参加できなかったのです。当時は。。。

 

郵便局のおねえさんたちの地元言葉がなんかとっても愛らしかったなあ。京都とも大阪ともちがう、そう、この辺りの食べ物の「甘さ」に通じるものを感じます。

 

静かに暮てゆく水口宿の街。僕の旅は終ろうとしています。